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保命酒を作る人々
保命酒造りは味醂造り 350年の重み
350年の重み 代表取締役 岡本良知
 保命酒の歴史がスタートしたのは万治二年。江戸時代の最初のころで、それから約350年間飲み続けられてきた薬味酒です。
 保命酒つくりを始めたのは中村吉兵衛といわれる方で、保命酒の歴史の前半230年はその中村さんが作り上げたものです。中村さんのつくる保命酒は絶品で、備後の名産品として福山藩の御用酒になりました。当時はまだ甘い物が手に入りにくく、健康酒と言うよりも嗜好品として人気が高かったようです。
 福山藩は譜代の大名で発言権が強かったらしく、保命酒を他の藩には作らせませんでした。それでますます希少価値が上がって、当時の富裕層にとても人気だったようです。
岡本亀太郎本店の保命酒へ
 その後に江戸幕府が崩壊し、福山藩はなくなりました。そうなると当然「福山藩の御用酒」と言うお墨付きも無くなります。中村さんの独占していた保命酒の醸造権もなくなってしまったんです。そうするとこの鞆の浦ではたくさんの造り酒屋が保命酒つくりをはじめまして、それで当然保命酒の値段も下がってくる。みんなつくるわけですから。それで中村さんは保命酒つくりをやめられたんですね。暖簾を下ろされた。その時に正統な後継者としての暖簾分けと言いますか、私たち岡本亀太郎商店に御用酒の証しであった龍の看板と、保命酒つくりの道具一式を譲ってくださったんです。それから120年、私たち岡本亀太郎本店が中村さんの意志を継ぎ、ここ鞆の浦で保命酒つくりを続けているんです。

ペリ−の愉しんだ保命酒
 わたしは歴史好きなのですが、私たちのつくっている保命酒が歴史の大舞台に登場したことがあるんです。
 アメリカから開国を迫りにやってきたペリーが下田に来航した折りに、公式の食事会で出された食前酒が保命酒なのです。
 当時の福山藩主は阿部正弘さんだったのですが、彼は幕府の老中首座でもありました。そこで大事な食事会で地元名産の保命酒を出したのですが、これを発見したのは私なんです。
 噂でペリーが飲んだと言われてはいましたが、いかんせん古い話なので確証がありませんでした。そこでこれは何とか証明したいと。
 で、下田に行った時に滞在中に現地の資料をかき集め、江戸文庫に行って当時の文献をあさり、さらに下田商工会議所の開港150年記念事業の冊子をくまなく調べましたが、保命酒らしきものは何度も登場するものの、保命酒と断定できるような、決め手となる文献はどうしても見つけられなかったのです。
で、もうここまでくると意地になりまして(笑)。
 あらためて下田市の教育委員会の文化課に尋ね、当時の本を紹介してもらい、それを地元の鞆の民俗資料館に持ち込んだんです。結局国会図書館の書物に保命酒のことが載っており、これで完全に「ペリーが飲んだ保命酒」が証明されました。
 このような歴史のある保命酒です。伝統は守り続けないといけないと思ってます。
 蔵元の誇りを持ち、そして中村さんに恥ずかしくない、中村さんから受け継いだ龍の看板を裏切らない保命酒つくりを続けることが、私の使命だと思っています。

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